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まやかしの政府・日銀の『共同声明』

11週連続の円安・株高だ。これほどの連続株高は1971年以来約42年ぶりである。1971年といえば米ニクソン大統領がドルと金の交換停止を発表(8月)し、為替が変動相場制に移行した年である。その年の株高はニクソンショックで中断したものの、ただちに回復し、年間で日経平均株価は36.5%も上昇した。第1次オイルショックで景気後退に陥る前の高成長経済を背景にした株高であった。デフレで経済が収縮している今の経済状態とはあまりにも違いすぎる。そうした両極端な経済でありながら、11週連続株高という同じ現象が起こっているのである。

株高は日本だけでなく世界的であるが、過去3ヵ月比では、欧米の主要株価指数の上昇率が1桁であることに対して日本は20.7%と図抜けている。過去3ヵ月間の国債相場をみると、日本はやや上昇している半面、欧米はやや下落しているが、取り立てて言うほどの変化ではない。短期金利は日米が低下気味で、ユーロは上がり気味。原油は上がり、金は下落している。為替も円安ドル高が際立っており、3ヵ月で10円以上の円安である。これだけ円価値が減価しているにもかかわらず、日本株と日本国債は買われている。円安、物価高、国債安と連鎖するはずだが、円安、国債高と理屈とは逆に動いている。

 22日、政府・日銀は『デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について』と題した共同声明を発表した。そこで、「日銀は物価の安定と金融システムの安定確保を図る責務を負っている」、さらに「日銀は、今後、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取り組みの進展に伴い持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていくと認識している」、「この認識に立って、物価安定の目標を2%とする」と表明している。

 そもそも共同声明のタイトルそのものがナンセンスなのだ。デフレ脱却というが、2012年の消費者物価指数(総合)は前年比ゼロと物価は横ばい、デフレではないのである。1995年以降2012年までの18年間でマイナスになったのは10回だが、09年(マイナス1.7%)を除けばすべてマイナス1%に満たない小幅のマイナスである。一方、プラスは消費税率を引き上げた1997年に1.8%に上昇したが、その後1%を超えたのは2008年だけである。さらに遡っても、消費税導入の1989年に2.3%に上昇、1991年には3.3%を付けたが、1992年には1.6%に低下している。消費税導入と税率引き上げのときを除けば、2%まで上昇したのは28年前の1985年まで遡らなければならない。

 過去10年の平均物価上昇率は年率マイナス0.1%とほぼ横ばいだ。物価は極めて安定し、デフレとは言えない経済状況下にある。これに日銀は異を唱え、「持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていく」ことを期待しているのだ。だが、1986年以降、2%以上上昇したことがない物価をいきなり2%まで上げたいといっても、需給関係をみると、ゼロ近辺から大きく上昇することはないだろう。

ゼロ近辺が正常な物価上昇率であるにもかかわらず、2%に引き上げることは「持続可能な物価の安定と整合的」ではない。「持続可能な物価の安定」はゼロ近辺なのだ。物価がそれを超えて上昇することは、明らかにインフレであり、日銀は「物価の安定」を図る責任を放棄したことになる。

政府が「競争力と成長力の強化」を進めれば、物価は下がっていくだろう。供給力の強化をしても需要がついてこなければ物価が下落するのは当然である。需要の手立てがなされず、供給だけ強化してどうなるのだろうか。供給が需要をますます上回り、ものやサービスがだぶつくだけである。共同声明で需要についてはまったく触れていないのは片手落ちである。

そもそもこれからの日本では「持続的な経済成長の実現」などあり得ないし、お伽噺の世界だ。時代錯誤もはなはだしく、まともに日本経済を調査・分析しているとはとても思えない。国民を誑かすキャッチフレーズであり、小泉政権となんら変わらない。原発村の住人が、原発の安全を唱えたのと同じことが経済でも行われているのだ。原発村と同じように、「日本経済再生本部」や「経済財政諮問会議」、さらに経済産業省や財務省の官僚たちの経済村が総出で、過去10年以上実現できなかった「持続的な経済成長」を触れ込んでいる。

現状、日本企業は売上規模に対して過剰な資本設備を保有している。人口減と高齢化で需要が低下しているが、それに合わせて供給設備を削減していく必要がある。1990年代のバブル崩壊後も、企業は総資産の圧縮を怠り、国内需要に見合ったバランスシートの構築を進めてこなかった。為替と法人税に業績不振を押し付けているが、本当の問題は企業内部にある積年の膿なのである。

日銀が成すべきことは、消費者物価が前年比ゼロ近辺に安定している物価環境下では、政策金利をゼロから1%~2%に引き上げることである。政策金利の引き下げとともにマネー経済は活況を呈してきた。政策金利が1980年代央に引き下げられたことがバブル相場に繋がり、1995年以降、ゼロ近くへ引き下げたことが、株式市場の商い急増に関係している。政策金利は実体経済よりもマネー経済に敏感に反応することがあきらかになっている。 実体経済が成長しないので、ゼロ金利が正当化されるが、ゼロ金利を放置していれば、マネー経済が暴れだし、それが実体経済を揺るがす。すでに、過去四半世紀に何度もバブル経済を経験していながら、市場万能主義の闊歩により、主要国の中央銀行は毅然とした態度を示すことができなかったし、今回の日銀の妥協をみると、完全に政府の下請け機関に成り下がってしまった。

2008年の金融危機後に銀行規制が持ち上がったが、いつのまにか話題に上がらなくなってしまった。自己取引規制等のボルカー・ルールとやらはどこにいってしまったのか。ユーロの債務問題もあれだけ混乱を引き起こしたけれども、国債相場が落ち着けば、金融取引税の導入もいつのことになるやら。問題を先送りしているあいだに、また、バブル相場が復活してしまった。

米国やユーロ圏経済のように、昨年12月の消費者物価が前年比1.7%、2.2%それぞれ上昇していながら、政策金利をゼロ、0.75%と消費者物価上昇率以下に抑えていれば、実質マイナス金利となり、マネーゲームを促し金融バブルが発生するのは避けられない。

本来、潰すべき金融機関を潰さずに存続させ、実体経済とは掛け離れた金利設定により、長い時間をかけて不良債権を解す算段をしている。米公的企業が抱える6兆ドル超(昨年9月末)の資産担保証券も時間をかけて償却するのだろう。溜まっている膿を少しずつ出すので、なかなか健全な経済にはならない。結局のところ、家計が本来受け取るべき利息を放棄する形で、放漫経営で身動きが取れなくなった金融機関を救済していくことになる。政府は痛くも痒くもないのである。 

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