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コロナ禍、より人間らしい生活を探る契機に

4月の大半は岡山で過ごした。新幹線は1車両にがらがらの5人ほどであり、走らせるのがもったいと思った。国の言うことに素直に従う日本人の特性がよく現れている。岡山に着いたときは、岡山県の新型コロナウイルス感染者は20人にも満たず、いまでも死者はでていない。それでも東京のように自粛しているのだ。なにの根拠もなく、国の方針に従っているだけなのだ。思考停止状態といってもよいだろう。県独自で無作為検査を行い、実際どのくらいの感染者がいるのかを調べることもなく、ただ、自粛自粛の一点張りでは説得力はまったくない。根拠もなく曖昧なまま出された緊急事態宣言だが、それでも日本人はお上に従うのである。お上に従ってどれだけ酷い目に遭わされてきたことか、歴史上の幾たびの惨事を思い起こせば、お上の説明など信用できないのだが。

感染対策上、感染者数を予想することは最も重要な仕事だが、発生から数ヵ月経過しているにもかかわらず依然検査数は少ない。山梨大学島田眞路学長は「PCR検査の不十分な体制は日本の恥」(医療維新、4月15日)とまで言っているが、検査に基づいた基本データが整備されなければ、感染対策の議論を進めることはできない。オックスフォード大学の『Our World in Data』によれば、5月7日時点の千人当たりのPCR総検査数は日本の1.50に対して、米国24.49、ドイツ32.89、イタリア39.38、スペイン28.90、フランス12.73、韓国12.67と日本の検査数が異常に少ないことがわかる。これでは感染がどの程度かを調べることはできない。

真の力が試されるのは通常の医療ではなく、今回のような新ウイルスの登場によってである。厚生労働省と専門家会議が今回の検査の失態の大元なのである。これまでに厚生労働省は失態を繰り返してきたが、学習効果はまったくみられない。

官僚にとっては法律だけを基準に思考・行動しているのだろう。だから、法律に記載されていない現象に出くわしたときには、なすすべはない。1990年代のバブル崩壊への対応も官僚はお手上げだった。その結果、不良債権は雪だるま式に増え、金融機関は二進も三進も行かなくなり、日本経済は疲弊してしまった。

2011年3月の原発苛酷事故でもSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)が直ちに活用されなかった。ドイツなど外国の放射能拡散システムに頼っていたことが思い出される。100億円もの開発資金を投入し、完成していながら肝心なときには、データは公にされない。稼働させるデータが不十分であっても放射能が拡散する様子は分かるので、放射能を避ける避難ができた。当時の原子力安全委員会や保安院がまともに機能する良心のある人材を擁していなかったからだとも言えるだろう。

今回の新型コロナウイルスも官僚と一部専門家と称するグループで新型コロナウイルスの対策がなされている。身内を慮り検査という入り口で制約を課し、検査を極力受けさせないようにするという過ちを犯した。

メルトダウンを起こし、果てしなく続く事故処理下にありながらも政官財学の癒着が、なお原発を推進させているが、医療もそれに劣らず、政官財学の強いネットワークを構築している。強固な癒着は身内の利益誘導を図るためであり、国民は二の次である。コンピューター画面をみながらの機械的な検診と夥しい量の投薬、健康診断という仕組みで巨額の富を手にしている。

降って湧いた新型コロナウイルスによって、日本の医療体制の脆弱性が露呈した。日本の国内感染者数は1万5,790人、死者624人(5月9日現在)と欧米に比べれば桁違いに少ない。これでも医療崩壊を危惧しているのである。5月9日現在、100万人当たりの感染者数(死者)は日本123人(4.74人)、韓国211人(4.99人)、ドイツ2,011人(87.95人)、イタリア3,592人(499.5人)、米国3,878(233.17人)、スペイン4,766人(561.46人)(出所:University of Oxford.Our World in Data)。検査もさることながら、集中治療室、人工呼吸器など施設・機器と熟知した取扱者の不足といった医療体制の不備が明らかになった。

医療関係者がいままでしてきたことは何だったのか。力点の置き方が間違っていたといえるのではないだろうか。それほど重要でない分野への過度な機器の導入等目先の利益優先のために資金は投入され、感染症のような地味な分野は蔑ろにされていたのではないか。医療に限らず、あまり儲からない分野にはお金が回ってこない。儲からないから重要ではないのであり、儲からない分野にも基礎的であり、土台となる部門がある。流行りの研究を追いかける研究では行き詰まることは目に見えている。

コロナ禍は行き過ぎた人間の経済活動に歯止めを掛ける契機となればよい。コロナ禍以前に戻るのではなく、気忙しい生活を見直し、より人間らしい生活を作り上げるべきだ。有給休暇も満足に取れない、男の育児休暇など在ってないようなものであり、企業任せでは百年河清を俟つだ。法的に制度化しなければならないときである。

在宅期間が長くなっているので男性も食事や育児に参加し、生きる術を身につける良い機会だ。飲食店は売上激減しているが、それだけ利用していたということである。外で食べること、でき合いのものを買うことはGDPにカウントされるが、自宅で材料を買い、調理すれば材料費だけはGDPに入るが、人件費・調理費は入らない。料理、育児、掃除等家でしていたことを家でしなくて外部に頼めば頼むほどGDPは大きくなる。GDPが大きくなっているのはこのような外部化によるところが大きく、今まであまりにも横着になり、外部に依存しすぎてきたように感じる。この際、外に頼っていたものを少しは家に取り込んではどうだろうか。

備前のある窯元に寄ったところ、備前の「宝瓶」が中国で売れているという話を聞いた。コロナ禍の中でも、一部の中国人は備前の宝瓶・煎茶碗でお茶を楽しんでいる様子が窺える。国内では備前宝瓶の需要は多くはない。スーパーでは巨大なペットボトルに入ったお茶が売られている。すでに急須さえも食卓から消えている家庭もあるようだ。かつてはどの家庭でも、お茶は家族が入れて飲んでいたが、それも失われつつある。

日本には65歳以上が3,605万人もいる。こうした高齢者はコロナ禍に関係なく、時間はたっぷりあるはずだ。備前の宝瓶でなく急須でもよいが、お茶ぐらいは湯冷ましで冷まし、急須に入れて、心を落ち着け、ゆったりと味わいたいものである。甘い物でもあればなお結構。余裕のある今こそ家族でゆっくりお茶を入れ、飲む生活スタイルを定着させようではないか。

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