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コロナ禍で見直すことはゆったりとした食事

世界の新型コロナ感染者と死者は増加している。北半球が本格的に寒い季節に入り、ウイルスが感染しやすい環境になってきた。最近の感染者数は右肩上がりとなり、いつまでこの傾向が続くのかだれもわからない。7日、日本でも1都3県に緊急事態宣言が出されたが、期間は2月7日までの短期だ。どのような根拠でこうした短期間にとどめたのだろうか。極めて曖昧な決め方である。冷え込みが厳しく、インフルエンザが猛威を振るうときに、1カ月などで事態が改善するなどと想定することはナンセスの極みだ。菅首相の頑固さにはあきれるばかりである。菅首相の側近はイエスマンしかいないのだろうか。そうであれば日本丸は泥船となり、藻屑と消えることになり兼ねない。

恐らく、今年は新型コロナがまだまだ弱毒化することはなく、感染者を抑え込むことは難しいのではないか。そのような前提で政治、経済、医療などは取り組んでいかなければならない。長期戦を覚悟する必要があるのだ。常に、最悪の事態を想定し、それに見合った経済を構築していくべきである。

コンビニが24時間営業をし、宅配便が朝から晩まで駆けずり回る、2交代制、3交代制といった不規則な生活を押し付ける、などいずれも経済を最優先させた結果だ。これだけ科学技術が発達しても生活のゆとりは失われ、食事も出来合いや外食に依存することになる。こうした生活を推し進めていくと、家庭での生活はますます空虚になるばかりではないか。

新型コロナが突きつけているのは、我々の生き方がこのままで良いのかどうかということなのである。

新型コロナの動向はだれも予測がつかず、感染者と死者がさらに拡大するかもしれない。現時点、世界計の感染者は8,897万人だが、世界人口の1.2%の罹患にとどまる。感染者が少ないことはこれから罹るリスクは高いということである。世界人口(77億3,542万人)のどのくらいが感染すれば収束に向かうのだろうか。数パーセントにとどまるのか2桁までいくのか。いずれにしても感染は1.2%では収まらないのではないだろうか。

菅首相はいまだにオリンピック開催に拘っているが、世界的に感染拡大に歯止めが掛からない状況を勘案すれば、即座に中止を宣言すべきである。無駄な経費が掛かるばかりで、一文の得にもならない。事態を冷厳に見つめ、決断するという能力のなさが、傷口を広げることを、これまでしばしば経験しているが、経験するだけで活かされたことがほとんどないのが日本の政治なのである。

原発のメルトダウンから今年で10年が経過するけれども、時間が過ぎるばかりか、巨額の経費が注ぎ込まれるだけで、一向に先行きは見えない。1990年代の金融機関の不良債権問題がずるずる先延ばしされ、ボディーブローのように日本経済から体力を奪い去ったことが思い出される。生命を奪う放射能を相手では、不良債権とは比較にならない危険で困難な仕事だが、今の溶け落ちた核燃料のデブリを取り出す方法では事は進展しないことが証明されたのではないだろうか。10年の時間を投入しても成果が得られないことは、方法が間違っているのだ。時間と金だけが費やされ、日本経済の足を引っ張るだけなのである。原発というゴミ処理に湯水のように金を浪費するような余裕は日本にはない。

過酷事故を起こした原発を処分できない、核廃棄物の捨て場もない、それにもかかわらず原発を稼働させるという国の方針。矛盾だらけだが、矛盾を矛盾と捉えない。核兵器はだめだが、原発は容認する。両者は同じものなのだ。過去の踏襲ではなく、現実を冷静に捉え、矛盾を解消する取り組みをしなければ、原発処理の道を開いていくことは難しい。

東電には国からすでに11.6兆円の資金援助がなされている。国家管理下にあるとはいえ、申請すれば東電は資金をいとも簡単に入手できるのだ。事業に失敗して倒産した企業とは別世界なのである。しかも、東電の給与は産業別ではトップクラスなのだ。本来、倒産している企業の給与が日本でも最も高い水準にあることに、経産省は矛盾を感じないのだろうか。新型コロナで東電と飲食、宿泊などの低賃金産業との格差は一段と開いている。国からの資金援助でのうのうと暮らしている東電との格差には憤りを覚える。

総務省によれば、昨年12月1日現在の日本の総人口は1億2,571万人、前年比43万人減少した。65歳以上は3,622万人、前年比31.4万人増加し、総人口の28.8%を占める。男は1,575万人、女は2,047万人と女が男よりも472万人多い。一方、15歳未満は1,498万人と75歳以上の1,872万人を374万人下回る。

厚生省の『人口動態統計』によれば、2020年1月から同10月までの累計出生は前年同期比2.3%減だ。新型コロナ禍でありながら、死亡も同1.2%減少している。婚姻は13.3%減と新型コロナの影響がはっきりと表れている。新型コロナが収束しない間、婚姻の減少は続き、出生の落ち込みも止まらないだろう。

出生の減少に加えて、出生時の体重が1975年には単産で3.20Kgだったが、その後減少し続け、2009年には3.02Kgへと低下した。以後、低体重傾向に歯止めは掛かり、2016年も3.02Kgを維持している。だが、低体重化によって、2,500g未満の未熟児は増加を続け、1975年には4.6%(単産)だった未熟児の割合は2010年には8.4%に上昇、2016年は8.2%に低下したものの、復産を加えた総計では9.4%と高水準のままである。男女別では、女は2015年10.6%と1975年の約2倍に上昇している。

出産を望むが、叶わない人のために体外受精が施されているが、2018年には総出生数の6.2%に当たる56,979人が体外受精での出生である。20代、30代の女性の痩せ、痩せに伴う体力の衰え、高年齢出産なども低体重の要因に挙げられている。

厚生労働省の『国民健康・栄養調査』によれば、エネルギー摂取量(1日1人当たり平均値)は2019年、1,903Kcalである。ところが、終戦直後の1946年の農村の摂取カロリーは2,084Kcalと2019年よりも多く、都市は1,721Kcalと農村を大幅に下回っていたけれども、それでも1948年には1,916Kcalに増加し、2019年を上回っている。

1950年には2,098Kcalに回復し、1970年は2,210Kcalに増加、1997年までは2,000kcalを超えていたが、1998年から2005年までは1,900Kcal台、2006年からは1,900Kcalを下回り、2011年には1,840Kcalに低下、2017年までは1,900Kcal以下であった。その後は緩やかに回復しているが、2019年は1970年を307Kcal下回っている。

これだけ飽食といわれながら、終戦直後の1948年(都市1,916Kcal、農村2,112Kcal)よりもカロリー消費量が少ないことに、いかに理由付けができるのだろうか。労働の大半が第3次産業に置き換わったこと、高齢化の進展などを理由に挙げることができそうだ。が、生活にゆとりがなくなり、食事に掛ける時間が少なくなり、食べ物を十分摂取できなくなったのではないか。新型コロナ禍によって、我々が変えなければならないのは、ゆったりと時間を掛けた食事ではないか。カロリーの減少と出生時の体重には相関関係を読み取ることができる。最も生きるうえで重要な食事を見直すことが、社会を健全にする方法なのである。

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