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国民の命よりもオリンピックが大事な菅首相

政府は23日、3度目の緊急事態宣言を4都府県に出した。期間は今月25日から来月の11日までのたったの17日間である。過去2回の緊急事態の期間に比べれば相当短い。報道によれば、5月17日ごろにIOCのトーマス・バッハ会長の来日が予定されているからだと言われている。2度の緊急事態宣言を振り返ってみても、期間はいずれも延長され、解除されたのは、昨年の第1回目では1カ月半後、今年1月の第2回目は2カ月半近くを要している。こうした経緯から予測すれば、今回の緊急事態宣言が解除されるのは6月下旬から7月上旬ではないだろうか。今回の宣言はオリンピックだけに焦点を当てており、菅首相の唯我独尊、国民の生活や生命よりもオリンピックが大事な姿勢が如実に表れている。

緊急事態宣言を出すとき、菅首相は専門家の意見を聞いた上で判断すると常々言っているが、どうなのだろうか。専門家も現実を直視し、政治家におもねることなく、直言したのであろうか、はなはだ疑問である。

昨年4月7日に最初の緊急事態宣言を出したが、当初は5月6日までの1カ月であった。だが、対象範囲も7都府県から4月16日には全国に拡大され、1都3県と北海道が解除されたのは5月25日であり、解除は当初よりも大幅に遅れた。昨年4月7日の感染者数は377人だったが、今回と同じ17日間を当てはめた4月23日には445人であり、宣言当日の7日(377人)を上回っている。

第2回目の今年1月8日に出された緊急事態宣言で適用されたのは1都3県だったが、同13日には7府県が追加された。大阪等7府県は2月28日に解除されたが、1都3県が解除されたのは3月21日であり、当初の期間よりも1カ月半も長くなった。1月8日の感染者数は8,045人だったが、16日後の1月24日は3,988人とまだ十分に感染は抑え込まれていなかった。感染者数の7日間平均は大阪等6府県が解除された翌日の3月1日を底に拡大に転じている。東京など1都3県では緊急事態宣言下にあったにもかかわらず、感染者は増加しつつあったのだ。

変異ウイルスが拡大しているときに、大阪などが早々と緊急事態宣言を解除したことが、感染者の拡大を招いたことは間違いないだろう。こうした過去2回の緊急事態宣言を真摯に受け止めるならば、今回の短期間の宣言はいかにも現実離れしているといえる。過去の経験がまったく生かされていない。これではウイルス禍ではなく、人災といえる。

大阪と兵庫の最大の問題は病床が逼迫していることである。新型コロナが発生してからいままで一番問題になっていたことだが、1年経過しても改善には程遠いのだ。

OECDのデータによれば、1000人当たりのベッド数はG7のなかでは日本が12.98と最も多く、最低はイギリスの2.46である。これだけベッドがあるにもかかわらず、重症者のベッドは満杯になり、治療に支障を来すほどになっている。その原因はベッドに比べて医者や看護師などのスタッフが少ないことに起因しているのだ。

1000人当たりの医者の数では日本は2.49人であり、米国の2.61人よりも少なく、G7で最低なのだ。最高はドイツの4.31人である。次に、看護師とベッドの関係(看護師・ベッド比率)をみると、日本の比率は0.60と最下位であり、米国は2.84とイギリスの3.09に次いで上から2番目である。日本は医者も看護師も少なく、ベッドだけが多いという歪な医療体制となっている。

ベッドだけたくさんあっても、患者の面倒をみる医者や看護師がいなくては、特に重症者を受け入れることはできない。日本の医療体制はバランスが悪いことに尽きる。軽症者など、それほど人手を必要としない患者の増加には、ベッドがあれば対処できるけれども、重症者が次々に運び込まれる事態に陥ることになれば、そこに多くの医者や看護師を張り付けなければならず、医者や看護師不足が深刻になり、挙句の果て、お手上げになり、患者を受け入れることができなくなる。

医者や看護師を急ごしらえすることはできず、新型コロナの重篤者が急増することになれば、日本の医療は崩壊することになる。大阪などでは患者のたらい回し、長時間待機などすでに行き詰まっている。

新型コロナ感染者は増加しないかもしれないし、急増するかもしれず、予測は不可能である。米国や欧州のような感染拡大になれば、日本では病院で治療を受けることもかなわず、悲惨な状態に陥ることになるだろう。

病院のベッド数と医療スタッフを大まかに見ただけで、日本の医療体制はなにも起こらない平穏なときには、それなりに機能するけれども、今回のように突然、深刻な症状の患者が多数発生したときには、非常に脆いということが露呈した。入院させ、検査をし、薬を多量に投与するという本来の医療行為からかなり逸脱した日本独自の医療の仕組みを根本的に変えなければ、危機への対応はできないのである。

こうした脆弱な医療体制を前提にすれば、新型コロナ対策といっても、できることは感染者を極力出さず、医療への負担を少なくする方法しかない。感染者を減らすには、人に会う機会を減らし、一人で過ごす時間を長くすることなのだ。一人暮らしを楽しくする術がなければ、孤独になかなか耐えられない人も出てくるだろう。

新型コロナウイルスはいつまでも暴れることはなく、いずれ弱毒化することは間違いない。それまで人間はおとなしく、静かに暮らさざるを得ない。ウイルスが悪いのではなく、人間の飽くなき欲望が、新型コロナウイルスを招いたのだから。

金の匂いがすれば世界の果てまで進出し、根こそぎ収奪するという浅ましい数々の蛮行を重ねてきた結果なのだ。静かにしていたウイルスを目覚めさせ、人の移動と共に、瞬く間に世界中にウイルスを拡散させたのである。

ワクチン接種に躍起になっているが、これとて大国が金の力によって、生産と供給を独占しているではないか。民主主義や専制主義に関係なく、国家と巨大資本が結びつく事例を目の当たりに見た。WHOなどの国連機関がワクチンを管理し、配分するといった公平性を確保できる方法がなぜ取れなかったのだろうか。

菅首相はファイザー社との話の内容をつまびらかにしていないが、数量や購入金額などを国民に開示すべきだ。おそらくべらぼうに高い値段での購入だろう。接種に関してもその場を取り繕うだけであり、説明は常に曖昧である。すべてが曖昧なまま進行し、曖昧だから、結果については、だれも責任を取らない無責任体制が、新型コロナ禍でも貫徹されている。

今度のワクチンは新方式で短期間に作られたものであることから、どのような副作用が出てくるかわからない。ワクチン接種がウイルスに対する正しい対応かどうかを判断するには長期の観察が必要ではないか。発生から超短期でワクチンが開発され、使用されるケースは今までにない。それにウイルスが対抗し、さまざまな変異を繰り返し、生き残りを図るようにも、思える。そうなれば、事態は数段深刻になる。

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