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独裁に打勝つには民主主義の彫琢しかない

大量の核兵器を保有している独裁者であれば、意のままに行動することができる。このことがプーチン大統領のウクライナ侵攻で証明された。国連は戦争を阻止することはできないし、ましてやロシアへの制裁などでプーチン大統領が動じるはずがない。偏執狂のプーチン大統領にとっては、そのようなことは織り込み済みなのだ。21日の演説でも「現代のウクライナは完全にロシアがつくった」と言い放し、ウクライナをロシアの領土にするまで戦争を続けるのだろう。欧州になびくウクライナは目障りでしかたがないのだ。

1991年7月、ワルシャワ条約機構完全解体、同12月、ソ連邦消滅し、独立国家共同体(CIS)が創設された。1999年、ポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに加盟してからも2004年、ルーマニア、ブルガリア、スロバキアが加わり、現在NATOは30カ国に拡大している。旧ワルシャワ条約機構加盟国ではロシア、ウクライナ、ベルラーシ、モルドバ以外はすべてNATO加盟国になった。だが、ロシアに近いノルウェーとフィンランドはNATOに加盟していない。

ロシアはNATOの東方拡大に反発したが、このようにNATO同盟の拡大を主導したのは米国だという説もある。米国にもNATO拡大に慎重な立場の人もいたけれども、1993年から2001年まで大統領だったクリントン氏はロシアに配慮することなく、NATO同盟の強化・拡大に邁進したのだ。米国のNATO東方政策はロシアのウクライナ侵略の遠因といえる。

ノルウェーやフィンランドでさえロシアの顔色を窺いながら慎重な行動を取っていること、さらに外国軍部隊駐留を旧東ドイツ領域では禁止(ドイツ最終規定条項、1991年)していることなどから推察するならば、米国やドイツ、フランスは問題の核心部分であるウクライナのNATO加盟について、現実に即した対応をすべきではなかったか。

偏執狂のプーチンを相手にするのだから、しかも、すでに大量の軍隊をウクライナ周辺に配備している状況下、当面、ウクライナのNATO加盟は棚上げしてもよかったのではないだろうか。直球だけで打ち取れる相手ではないのだから。戦争になれば、犠牲者がでるのは避けられず、これだけはなんとしてでも避けなければならない。そのためには、民主主義の枠のなかで、なにができるかを模索する方法しかない。

米国、ドイツ、フランスの指導者の判断は甘く、適切ではなかった。もっと真剣にウクライナの人の気持ちになってロシアとの交渉をすべきであった。欧州はロシアのエネルギーで牛耳られ、毅然とした態度をしめすことができず、ロシアに足元を見られながらの交渉であった。26日、米国、欧州、英国、カナダは、遅ればせながらSWIFTからロシアの一部銀行を排除することに合意した。いずれにしても、プーチン大統領が老獪で上手であったのだ。

バイデン大統領は民主主義の旗を掲げて、これを世界に拡大し、民主主義同盟国の体制を構築する方針。かつてのNATO同盟拡大を彷彿させる。だが、真っ向からこれに反対するプーチン大統領や習近平主席などがいる。思想信条などの基本的人権が、民主主義国家といわれる国でも守られているかと言えば、必ずしもそうではなく、様々な人権侵害がいまでも現存している。それだけではなく、食べることにも不自由にしている人もいるのだ。民主主義国でも、最低限の生活さえも送ることのできない人がどれだけいることか。

バイデン大統領は、米国は民主主義国家だと言うが、金とビジネス至上主義国という呼称が米国には相応しい。金が万能だから、金儲けが下手な人にとっては地獄であり、金持ちにとって米国は天国なのだ。金儲けは運にも影響され、上手くいく人は極めて少なく、こうした社会では貧富の格差拡大は必至なのである。あまりにも大きな所得・資産格差は不平等を露わにし、そうした社会は争いが絶えず、不健全・不安定となる。

泥棒や殺人者を世の中から一掃することができないのと同じように、独裁者の存在しない世界を作ることはできないのだと思う。民主主義国家にできることは、自由で人権が守られ、衣食住に困らない社会を作ることなのだ。そうした社会を発展充実させることによって、非民主主義国よりも優位に立ち、羨ましく思われることではないか。民主主義制度への追随者が続々現れるような進歩した社会を築くことによってのみ、独裁者を駆逐していくことができるのではないか。

素晴らしい民主主義のモデルを提供することができれば、SNSなどを通して、非民主主義国の人たちに伝わり、自国を見つめなおし、政治に訴えかけることになるだろう。賛同者が増えることによって、一定の力を持つグループが形成され、徐々に政権に圧力を加えることになるはずだ。このようなプロセスを辿り、内部からの改革によって醜い政治の淘汰が可能になるのではないか。

新型コロナワクチンだけを取り上げても、これが民主的に開発され、認可されたとはとうてい言えない。民主主義、非民主主義いずれを問わず、新型コロナワクチンは製薬会社と国とでかってに作り上げた品物である。

将来、思いもよらぬ後遺症に襲われる可能性も否定できない。mRNAがDNAにいたずらをするかもしれず、我々の抗体にも悪い影響を及ぼすかもしれない。いままさに、何十億人の人がmRNAの人体実験の真っただ中にある。

ウイルスはいつまでも同じ状態にとどまっているのではなく、徐々に弱毒化していくのである。一方、宿主はウイルスに慣れて行き、だんだん罹らなくなる。だが、ワクチンを打つことによって、ウイルスはワクチンにやられないように変異するのだ。いくらワクチンを打っても相手を怒らせるだけであり、感染は収束せず、いつまでも感染は続くことになるだろう。

民主主義を標榜するのであれば、ワクチン開発・製造は民主的な手続きで作らなければならない。強権政治は民主主義ではない、とはっきりわかるが、ワクチンのように分かりにくい分野も多い。しかも、民主主義国でも、ごく普通のことが、独占的に行われているのだ。企業や大学の人事もさまざまな要因が入り組み民主的とはいえない。普通、企業経営は独占体制に近く、プーチン大統領のように振舞っている経営者がしばしば紙上に登場する。従業員は経営に参画する機会はなく、独占体制の駒でしかない。民主主義を徹底させるのであれば、企業経営にも民主的な仕組みを導入しなければ、真の民主主義とは言えないのではないか。経営者と従業員の報酬の格差は広がりつつあるが、分配をより公平にするためには、透明で民主的な分配の仕組みを構築しなければならない。民主主義にも多くの専制的な要素が組み込まれていることが、民主主義を脆弱にしている。独裁者を衰退させるには、民主主義の脆弱な部分を取り除き、民主主義を一段高いレベルに引き上げる努力が、何よりも求められているのではないだろうか。

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